実は「黄金町駅の駐車場」の記事は松宮が入院する前(3月19日)から取材していた。記事は3月中にアップしたかったのだが、入院をしてしまったのだ。しかし、近所の方(現在記事に掲載されている女性とは別の方々)に戦争中のお話を伺い、図書館で資料を探してかき揚げ、ほぼ記事は完成。そのため、後は「校正だけ」という状況だった。
退院した翌日はグルメ系サイトの取材で立川へ。退院から2日め、編集部には「今日校了する(最終原稿を送る)」と伝えていたので黄金町へ行き、先方に直接原稿を校正してもらうことに。すると・・・
大人の事情から「やっぱり名前と写真は載せないで(名前と写真を掲載していた)」この「××という言葉は使わないで」「××は削除して」等、先方から言われてしまうという、思ってもみなかった大緊急事態が発生!!!明日には最終原稿を渡さないといけないのに・・・。
取材では「横浜大空襲」について複数の方にお話を伺った。しかし、今回は“心霊現象が起きるって本当?”という疑問を調査しなくてはならないので、極めて取り上げ方が難しい。「やっぱり掲載はムリ」という気持ちもわかるし、仕方がない。もっと多くの証言を取らなかった自分が悪いのだ。
「どうしよう?」「どーする?!」「どうしよう・・・」
退院して2日目の松宮。(いつもよりさらに)頭がぼーっとして働かない。
このまま黄金町をさまよっていても仕方がない。どこかで落ち着いて考えなくては!京急で横浜駅へ。編集部に連絡すると、「どうするか決めて」と言われる。・・・確かに原稿を書いた松宮が「どうするか」を決めなくてはならない。
横浜駅の雑踏の中、1人立ち尽くす松宮。
・・・退院早々、大ピンチ!血が逆流する感じ。ホント、心臓にはいつも負担をかけている。
ふと、取材で黄金地蔵がまつられている普門院へ行った時のことを思い出す。黄金地蔵を見た時、なぜだかわからないが(戦争の体験を)「絶対に伝えなくては」という想いが猛然と湧き上がったのだ。今伝えないと「戦争を体験した人が誰もいなくなってしまうのでは・・・」と思うとなんだか怖くなった。
「…やっぱり戻ろう」と横浜から再び黄金町へ。
あまり遅い時間になると年配者にお話を伺うのは難しくなってしまう。ここで諦めたら掲載できない。なんとか証言を取らなくては。
さまざまな制限があるよりは「全く違う人にお話を伺い、書き直した方がよい」という結論に至った松宮。
黄金町へ戻り、何人かに「横浜大空襲」や駐車場のことについてお話を伺う。だが、もう9時過ぎという時間帯もあってか、実際に戦争を体験したような方はいない・・・。11時過ぎに帰宅。資料を読み返して証言をすべて削除し、記事をすべて書き直す。
・・・が、やっぱり証言がないと記事が薄い。説得力がなく、厚みがないのだ。
「やっぱり証言がないとダメだ」・・・結局、三度黄金町へ。
「ご年配の方にはどこに行けば会えるのか」まったくわからぬまま、駅前をウロウロ。だが、長年黄金町に住んでいるような人は歩いていない。すると、郵便物を取りに来た中年の女性が!!!PC入りのキャリーバッグを手に走って声をかける松宮。その姿はかなりアヤしい。
女性は親切にも隣のおばあちゃんを紹介してくれる。しかし、おばあちゃんは戦争当時他の場所に避難していたため、「当時の黄金町はわからない」とのこと。日も暮れかけ、またまた「どうしよう・・・」とあきらめかけたその時!
なんと、通行人のおじさんが「戦争を体験された」という町内会の人に電話をしてくれることに。が、該当の方は不在。そこでまた別の方(現在、記事に掲載されている女性)連絡を取ってくれる。もう暗くなっていたにもかかわらず、女性は1時間ほどお話を聞かせてくれた。
取材を行う時は本当に多くの方々に協力していただき、記事ができあがる。しかし、今回は特に多くの方々に助けていただいたからこそ、「記事を完成させることができた」と思っている。
今回は“心霊現象が起きるって本当?”という疑問を調査したので、「いろいろな意見が出るだろうな」と覚悟していた。でも・・・きちんと読んでくれる方がとても多く、驚いたがうれしかった。色々あったけど、「やっぱり書いてよかった」としみじみ思った。
hamachariさん
ありがとうございます!
>松宮さんって読む人の事を考えた、読む人が満足できる記事を書いていらっしゃいますもんね。(偉そうに言ってすみません。。)
だから最後までスーっと読めてしまうんだよなぁ。
ホント、この一言で徹夜の疲れが吹っ飛びました(笑)
>ひきこまれちゃうんですよねー、松宮ワールドに・・^^
うれしいですね~!楽しく読んでもらえるような記事をかけるように「頑張ろう!」って思います。