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2013.04.30
取材不可?!阪東橋にある超有名店豊野丼に突撃!の取材裏話
2013.04.17
記事には書かなかった~黄金町駅の近くに撤去しようとすると心霊現象が起きる?!~の取材裏話
実は「黄金町駅の駐車場」の記事は松宮が入院する前(3月19日)から取材していた。記事は3月中にアップしたかったのだが、入院をしてしまったのだ。しかし、近所の方(現在記事に掲載されている女性とは別の方々)に戦争中のお話を伺い、図書館で資料を探してかき揚げ、ほぼ記事は完成。そのため、後は「校正だけ」という状況だった。
退院した翌日はグルメ系サイトの取材で立川へ。退院から2日め、編集部には「今日校了する(最終原稿を送る)」と伝えていたので黄金町へ行き、先方に直接原稿を校正してもらうことに。すると・・・
2013.04.11
思わずスーパーで笑ったコト
横浜で取材を2件終え、(1件は頑固なおやじさんと交渉中)夜に駅前のスーパーへ。店内は仕事帰りの人で混んでいる。
郊外(神奈川県大和市)出身の松宮にとって、通路が狭く、“人がすれ違うことができない”都会のスーパーはとても狭く感じてしまう。
取材帰りのため、ボー――ッとしながらアルコール売り場を歩いていた松宮。すると、スーツ姿でメガネをかけた “疲れ気味のおじさん”が「シュタッ!!!」と登場。突然目の前に現れ、驚いていると・・・
おじさんは珍味コーナーに突撃!そして「あり・まし・た♡」と言ってうれしそうに笑い、 「海味味(おつまみ)」をカゴに入れたではないか!!!
・・・松宮もおじさんにつられて「海味鮮」を購入
そのかわいらしい口調とあまりにうれしそうな笑顔に思わず笑ってしまった松宮。都会のスーパーでほのぼのとした出来事に遭遇した夜だった。
今日はまだ原稿があるため、ノンアルコールで乾杯!
※~役には立たないけど、かなり詳しい入院レポート~は執筆中。。。
2013.04.01
松宮緊急入院?!の巻
・・・2週間ほど前の木曜日。メディア向け試食会の後、日本酒利き酒セット6種などを飲みまくり。
金曜日の朝。「ちょっと喉が痛いなー」と思いながら、制作会社が主催するライター&カメラマンの懇親会に参加。(が、めずらしく自重してアルコールは飲まず)。そして帰りに“東横線渋谷駅の最終日”しかも最終電車”に乗り合わせてぐったり。「熱っぽいな」と思いつつも、「地上にある東横線渋谷駅」の最終日“狂乱の歴史”を書かねば・・・と思い、(誰にも頼まれていないが)3時まで執筆。すると…「!!!」
土曜日の朝、起きてみると喉が痛い。熱を測ると37度3分。「いや、寝てればよくなるハズ」と思い、眠る松宮。そして午後目を覚ますと・・・“喉が100倍くらい痛くなってる!”・・・しかしすでに午後。病院はやっていない。
普段は年に一度くらいしか実家に電話をしないが、「これはさすがにマズいかも」と実家に電話をして助けを求める。だが、5度電話をしても実家には誰もおらず不在。しかも間が悪いことに家には「薬も食べ物もない」。
「どうしよう」と思っていると時刻は夕方。そして“唾を飲み込むのも痛すぎて涙が出る”という、今までに感じたことがない痛みを喉に感じるように。この痛みをたとえると、“喉を大やけどし、ひっかかれた挙句、傷口に塩を塗りこまれる”という感じ。その痛みは“5秒に一回”やってくるのだ。「・・・これは耐えられない」
現住所に引っ越して約半年。「…確か近所に薬局があったはず!」と思い出す。が、方向音痴の松宮は記憶が曖昧だ。もし、記憶違いだったり道を間違えたら・・・病んでいるため気力&体力がなく、「もはや終わり」。しかし、自分を信じて薬局に行くしかない!
・・・と、いうことで重い体を引きずり、“ノーメーク・帽子・マスク・サングラス”というアヤしい姿で薬局へ
ふらふらとしながら記憶をたどって歩いていると「ああ!」超レア体験だが、「道を間違えなかった!!!」
なんとか解熱剤と痛み止めの作用がある薬を購入。喉に走る激痛と戦いながらアイスを食べ、薬を水で流し込む。「これで少しは痛みがなくなるはず・・・」と思いきや、「ぜんぜん薬が効かない!!!」
「のど飴でごまかそう・・・」と痛みと戦いながらものど飴をなめていた松宮。すると・・・「あれ?ない!!!」痛みはまったくなくならないながらも、“精神的な支え&癒し”だったのど飴が!!!さっきなめたのど飴が最後の1つだったのだ!「・・・なんでのど飴を買わなかったのか」とひたすら後悔するが、もう薬局は閉まっている。
ベッドで横になりながらも痛みに悶絶。 すると、母親からの電話。「・・・涙が出るほど喉が痛い」と言うと、「お母さん、大宮までお墓参りに行ってきたから」と母。実家から松宮宅まで1時間ほど。「そう、わかった・・・」と言う松宮に「・・・お母さん大宮まで・・・」とリピート。
「・・・何度も言わなくてもわかってるから・・・」と心の中でつぶやく。今日は大宮まで行き、戻ってきたので「今日はもう(そっちに行きたくない)」のが母の気持ち。しかし、妙に生真面目なため、調子が悪い娘の所に行かないのは「良心が疼く」。そのため、「お母さんは大宮まで行ったから・・・」と行けない理由を繰り返して言うのだ。「あの、もういいから・・・」と息絶え絶えに言う松宮に「(今日は行かないけど)明日行くから、ね!明日!」と母。・・・確かに来てくれるのはありがたいのだが
・・・何だかどっと疲れてしまい、そのまま眠りにつく。
・・・深夜。「頭が熱い」と目が覚める。熱を測ると38度。熱が上がっている。喉の左側があまりに痛いので、左耳から右耳まで”痛みのレーザーが走っている”ようだ。
心の支えだったのど飴はなくなり、「もう早く朝になって・・・」と身悶え
翌朝の日曜日。母が持ってきてくれた抗生物質も効かず・・・。喉の痛みはとれず、熱も下がらない。再び悶絶しながら長い夜を過ごし、月曜日の朝に!ネットで病院を検索し、耳鼻咽喉科へ。健康体なら5分で着くであろう病院に15分ほどかけて到着。「やっと・・・この痛みから解放される」と思い、ホッとする松宮。だがしかし!スタッフの方から「先生は午前中いません」という、衝撃の一言が!
がっくりと肩を落とし、家に戻る。他の病院を知らべる気力がなかったため、再び同じ病院へ。松宮の番になり、診察室へ。すると、喉を診たり、リンパ腺を触診する女医さん。
先生:いつから(痛いの)?
松宮:金曜日から・・・
先生:(険しい顔で)金曜日?!
松宮:唾を飲み込むのも痛くて・・・。夜は高熱が出るんです
というやいなや、「午前中は何してたの!」と予想外の勢いで言い出す先生。その勢いに驚きながら、「え?寝てました。(ここの病院が)やってなかったし・・・」と言う松宮。すると、先生は「なんで他の病院に行かなかったの!」と怒り出す。
「今から紹介状書くから!」「急患で総合病院に行きなさい」と言われ、「え?!」と(あまり声が出ないので)松宮は心の中でつぶやく。1分歩くのにも「1時間くらい歩いているのでは?」というほど歩くのがツラいので「行くの、止めようかな」と思うが、薬はまとめて「総合病院でもらって」と言われたため、電車で1駅隣の病院へ。
受付→カードを作るために氏名などを記入→待ち→診察→血液検査・・・と、ここまで40分ほど。待合室の椅子でぐったりしていると、再び名前が呼ばれる。「炎症反応を示す値が高いですね」と男の先生。
炎症反応を示すCRP基準値は0.3以下だが、松宮の数値は5.47・・・およそ20倍
「この数値だと入院した方が楽だよ」「入院すると点滴も10時間くらいできるし」と先生。いつもなら「入院費用がかかるし、いいや」と入院しないところ。だが、「喉の痛み」と「体のダルさ」に耐え兼ね、悩む松宮。でも明日は取材があるし・・・さあどうする?!
・・・翌朝。予定していた東京駅近くの新商業施設「KITTE」の取材へ。なんとか取材は終えたものの、「やっぱりムリ」と入院を決意した松宮だった・・・。(次回、“役には立たないけど、かなり詳しい入院レポート”を執筆!)